「君がため 月を仰ぎて 涙する 君を想ひて 人の恋しき」







心を乱す。
精神が崩壊して、音を立てる。

それは甘い誘惑。
それは甘い呪縛。

「心」というものさえ知らなかった、あの日。

突然に、心の崩壊はやってきた。
この先、何度生きる世界が変わっても、消えも変わりようもなかった、大切なヒト・・・。
失くす事を悟り始めて、少しは落ち着けていたはずだろうに、私の心は思い通りに壊れていった。

それは甘い誘惑。
それは甘い呪縛。

漠然と壊れるとは、言わない方が解るでしょうか?
それとも、上手くベールに包まれた言葉の方が、衝撃を減じられるでしょうか?

壊れ、狂う事。
それは、人として「生きて」いくにも「死んで」いくにも、少し可笑しな事だったろうか。


荒れ狂う心(精神)
乱れ彷徨う想い(感情)


そう、それは甘美な誘惑。
いっそ死んでしまった方が楽だろう?と。
いっそこのまま朽ちてしまった方が美しいだろう?と。
告げる声は、優しげでもあるのに、言葉は至極、残酷とも言えた。
何度、その誘惑に負けそうになっただろう・・・。
何度、その手を掴んでしまいそうになっただろう・・・。
心がうめくほどに、いや疼くほどに、終焉を欲したあの頃・・・。

中途半端な苦しさは、いっそう熱をくすぶったまま、心は乱されながらも、正気を失うまでもなかった。

君を想うと、心が、心臓が高鳴る。
それは、恋や愛のような、鮮やかな早鐘ではなくて、恐怖に似た焦燥の鼓動・・・。
もう、戻れはしない時間(とき)の嘆きが、動悸のように心と、そして身体さえも蝕んでいく・・・。
いっそ、この一瞬(とき)だけならば、涙もしのげただろうに・・・・。
現実は、少しずつ精神を削り取っていく・・・・。
逃げはしない。
望む死から、どう逃げ出すものか。
早く死神よ、来い・・・。


「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
(花の色は褪せてしまったことだ。むなしく、私の身が世を過ごす。そんな物思いにふける間に
長雨が降り続く間に・・・・)


昔の歌人も、この私の気持ちを解ってくれるらしい。
言葉を知らない知識人よりも、彼らの言葉はすっぽりと空いた心には、しっくりと落ちてくる。
私の過ごす永遠に近い時間でさえ、言葉にしてしまうのだから・・・。
私も、句を詠む事でこの想いが昇華されるのなら、詠んでいたい。
それほど、それほど、簡単であるのならば・・・。

壊れた心は、時に誰よりも鋭く、正気になる時がある。
直視しないような事柄でさえも、難なく見つめてしまう。

病として名付けられ、違った世界へ送り込まれてしまえば、私は誰からかの保護を受けた。
決して望まぬ生を、拷問のように感じていた。
時間が埋めたのは、喉の渇きと生への繋ぎ道。
心の渇きや、死への渇望は埋められる事はなかった。
人として、そう・・・人として、私はこの生を手放したかった。

「馬鹿なことを・・・・」

そんな一言で片付けられるような生ならば、いっそ消えてなくなれ・・・。
そんな陳腐なものでしかないのなら、いっそこの地に降りたくはなかった・・・。
それさえも、嘆いてはいけないだろうか。



焦点の合い過ぎた瞳が、空中を彷徨った後、毒々しいとさえ思える月を見上げる。
美しいはずなのに、その色は失われ、心のない私には響かない。


「月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」
(月を見ると、様々に限りなく物悲しいことだ。自分一人だけの秋ではないというのに・・・)


それでも、泣く事が出来ない。
渇いたわけじゃなく、そう・・・栓をしたように止まってしまっただけで・・・。
引っ掛かりを、そのもどかしげな心は、拒絶する事はなく甘受している。
壊れていればいいのだ、と。
蝕まれていればいいのだ、と。

涙も忘れ、笑う事も忘れ、人形になればいい。
心を差し上げましょう。
人間に夢見た、人魚姫にように・・・。
要らない。
醜く、哀しみだけが残るこの身など。

「愛しい事さえ忘れてさせてっ・・・・」




差し込む明かりに、ふと煌めくものが、音無く床へと落ちた。
それを涙と呼べるのか・・・それは解らなくて。
それでも、この時だけは、熱くなる胸を押さえている指が、白く滲んでいた。
治まりきらない鼓動が、視界を奪ってゆく。
この時だけは、自分に還れる気がする。
彼を愛した頃の私に。
この何時治まるとも分からぬ胸痛が、このまま生を絞って逝ってくれれば良いのにと、
失われる意識の中で想った。









夢でしか逢えなくなった貴方を、もう何度夢見ただろうか。
いつでも逢えるわけじゃなくて・・・もどかしい・・・。
夢見た日の朝が、辛い事を知っていても、また逢いたいと想う欲望を抑えきれず、
痛む頭痛を美しい残像で誤魔化していた。
忘れようと想った時に限って、君の笑顔、思い出してしまう。
まるで、君が忘れる事を許さないようで。
まるで、君が哀しんでいるようで。
出来ない。
出来るはずもない、忘れる事など。
それなのに、その事実を背負う器がなくて、どうしたらいい?
誰に助けを求めていたら良い?
弱さを強さに変える事が出来ると、その方法を売ってる人を知らないでしょうか?

「馬鹿な人だ・・・・」

もう、その言葉に絶望を感じる事もない。
馬鹿でも何でも構わない。
時間に逆流しても構わない。
この想いが昇華されるか、止まる術があるのなら。
悪魔に身を売っても、契っても構わない。
もう、何に心を壊していたかさえも分からない。
主旨をなくし、それでも渇望する死を、誰か推してはくれまいか。



あぁ愛しき貴方。
この想いを、ほんの少し汲み取ってはくれませんか?
まだ、貴方の愛する私であるのなら・・・。
たとえ結果、生きる事になるのだとしても。

あぁ愛しき貴方。
夢の中では、貴方の温度を知る事も、触れる事も出来ません。
掴んでは離れ、想っては薄れ、どうしても微妙な距離を縮める事が出来ないのです・・・。
触れた瞬間消える、しゃぼん玉のように。

貴方・・・一緒に朽ちて参ってはいけませんか?
聞いても良いですか?
「幸せだったか?」などと、ぶしつけな事を・・・。
不安だったのです。
ずっと、今も。
貴方の強い想いに負けていたようで、辛くもありました・・・・。
私は幸せです、今も変わらずに。
貴方の加護にあるようで・・・・。
それなのに、この想いが、貴方には届かないのでしょう?
降り注ぐ天の恵みを、人が返す事が出来ないように・・・・。
夢でしか素直になれなくて、ごめんなさい・・・。
解ってくれますか?この尽きぬ想い・・・・幾千の時空と越えても・・・・


冴え冴えとする思考と、緊張した、けれど温かみのある鼓動。
いつもの朝とは違う、少し笑顔を連れて来るような胸の痛み。
そして、頬を伝う涙の熱いこと・・・


「忘らるる 身を思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」
(貴方に忘れられる、この身の事は何とも想わない。ただ神に賭けて私へ愛を誓ってしまった貴方の命が、
誓いを破ったために失われるのではないかと、惜しまれる・・・)


そして、流れ続ける涙を拭う事もせず、泣き暮れてゆく・・・。
幸せの一言さえも、この耳には届かない・・・。



















本当に馬鹿な女(ひと)だ。
人ひとり・・・とは言ってはならないだろうけど、心を壊してしまうなど・・・。
知っている。
貴女が、あの方を愛していたことは・・・。
だからこそ、愛しいと想った。
馬鹿な女だ。
忘れる術を持たない、無垢な心を持つ貴女は・・・。
嘆き哀しむ姿を、私はどうして唯、見ていられるだろうか・・・・。
今すぐにでも抱き締めてしまいたい。
それでも、その背に浮ぶ彼の人の影は、そっと貴女を包んでいるようだった。
決して、束縛や呪縛ではなく、貴女の幸せを願う、美しき影。
何故貴女は、見ようとしない?
何故貴女は、彼の人を疑う?
それほどにまで、心奪われているのか・・・哀しみの渦に・・・。
解き放たれてほしいと、その影は云っていると言うのに・・・。
私には言わせてくれないのか・・・?!

同じ色で流れる涙を、拭う事も忘れて月を仰ぐ貴女の横顔が、妖しく美しかった。
こんな時でさえ、その内なる美しさを纏う貴女の心を、ゆっくりと解凍していこう。
その先に、私はきっと貴女の幸せという光を差し上げよう。














「馬鹿な人だ・・・・」
もう何度目の言葉だろうか。
いつもと少しトーンが違って、愁い気に振り返った。
その瞳は、私より悲しみに満ちているようで、どこか微笑みを隠したようでもあった。
「馬鹿な人だ・・・・何故・・・」
自分から逸らす事がなかった視線を、ふと下にして、思い切ったように、月を見上げ、
そして私の瞳の高さまで落ちてきた。
その時には、その瞳の悲しみはなかった。

「馬鹿な女だ・・・・」
彼が、柔らかく笑んだ。
切なげな瞳が、何か言葉を探しているようだった。
「この月の下で、ひとつ貴女に句を詠んでも、構いませんか・・・?」
丁寧に告げられた言葉とは裏腹に、その瞳は拒絶を許すものではなかった。
「貴女は知らな過ぎる・・・。その想いの中では、気付かれていないらしい・・・。
 教えて差し上げましょう。今日、この時間(とき)だからこそ・・・」



―――かくとだなに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを―――
(このように貴女を、恋慕っているとさえ云えなかったのですから、燃える火のような私の思いを、
よもやお分かりでないでしょうね)


















青白い月の下、貴女は違う温度の、違う香りの、腕の中にいた。
哀しいだろうか・・・この腕の中でも・・・。
幸せを感じるだろうか・・・この胸を借りても・・・。
確かに、抱き締める手の温もりは違う。
それでも、貴女は歩き出さなければいけない人だ。
私は、構わない。
貴女の背の影を、一緒に背負っても。
無理に消し去ってしまう事はおしでない・・・。

私は、今この時、眼の前に居る、確かな貴女を愛しているのだから。
その閉ざされた心を、春の雪解けのように、少しずつ溶かし、花を咲かせていこう。
彼の人が愛でた桜でも、二人で咲かせよう。

愛しき貴女・・・。
共に、これからを生きていよう・・・・。
貴女には、私が居る。


 





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