「美しき夢の残像」




医者になった友達が居た。
毎日良く勉強していたような、それでいて遊びの付き合いもかなり良かった。
そんな友達甲斐も、頼り甲斐もある、イイ奴だった。


昔語った夢通りに、医者の道を進んだ彼は、とても生き生きしていて、俺からは「羨ましい」の一言に尽きた。

あの頃、良く目を盗んで遊んだラウンジで、今日彼と逢う約束をしていた。




いつもと変わりなく10分前にやってくる彼を、眩しく感じていた。
「相変わらず」
そう言ってお互い、離れていた時間を一瞬で埋めた。
昔話には尽きる事がなく、普段そうあおらないアルコールは、思い出と同じように、喉の奥へと流れていった。




ほろ酔いになった彼が、急に黙り込んだ。
「酔ったか?」問い掛けたが、視線は戻る事はなかった。
代わりに「いや…」と短い言葉が返ってきた。
何気ない沈黙を、洒落たディナーとワインがしとやかに待っていた。


「どうした?何かあったか?」急に息苦しさを覚え、不安に似たモノに突き動かされた。
「いや何も。何もないからこそ、“ある”の間違いか・・・」
ははは・・・と乾いた笑みを浮かべた彼は、どこか淋しげでもあった。
また言いたい事の、核も少し誤魔化されたような、異物感が残った。
随分と訝しげな顔をしていたのだろう。
プッ、と場に合わない噴出し笑いを浮かべ、残りのワインを転がしていた。






「この間、海外研修に行ってきた。戦国の地へ・・・」
ラウンジの窓から見える、美しい夜景に似合わない瞳で、遠くを見つめたままの彼は、
泣いているようにも見えた。
「ドクターとしてか?どこまで?」その話の真意と、意図が少々掴めずにいた俺は、
そんな言葉しか返す事が出来なかった。
「ドンパチやってる国なら、どこでもいいさ。ただ、無力さと、強大な重みを感じて来たよ・・・」


彼は医者として、何を感じて来たのだろうか。
あの逞しささえ感じさせる、羨む彼のこんな表情を、俺は今まで見た事がなかった。



「ココを発つ時はさ、医者としての誇りや、そういう堅っ苦しいものを背負ってたよ。
目の前で死んでくのは、外科医だからネ。慣れたかないけど、そういうもんさ。」
「だったら・・・・。」と言いかけたが、口を噤んだ。
どうやら言いたい事は別の事らしいのを、俺は空気から読み取っていた。
「でも、それは最善を尽くしたからだろ?でも違うんだよ、あの国では。
ココじゃ、日本じゃ考えられないような事で、人が消えてくんだぜ?」



そう強くはない酒を、がむしゃらに流し込んでいく彼は、何かに追われているような、
自暴自棄のような、そんな言い知れぬ恐怖が、彼の瞳には焼きついていた。

「・・・・・」

「悪い・・・暗くしたかったわけじゃないんだけど、何かね、医者って何だろう?って改めて問うと、
答えが出なくて、ドツボにハマってるんだよ。」

笑いながらも、冷たくなった瞳を曇らせたままだった。


「一生懸命やってきたじゃんか、お前はさ。
そりゃ、一生懸命だけじゃ片付けられない事もあって、俺には到底分かり合えないもんだけどよぉ。」
「いや…。俺はお前が羨ましいよ。」かち合った目が、揺らめく青白い炎のようだった。
「俺が?まさか。俺はお前より適当に生きてんだぜ?羨まれるような事はしていない。」
ハッと、吹き捨てるように投げた言葉に、フッと笑みを洩らして、
もう何杯目かのワインを注いだ。





「片手で持てそうな程、小さい子供だったよ……。丁度薬もあって。
嬉しさで高鳴る胸を抑えながら、手術に挑んだんだ。
その時、突然停電になったんだ。」
「停電?戦争中の国じゃ良くあるんじゃないのか…?」
「あぁ。でも自家発電なんて出来やしない。だから、医療器具は完全停止。
俺は目の前で、助けられる人を為す術もなく、看取るしかなかった・・・・」


心の曇りを吐露した彼の瞳は、何故だか俺よりも冴えて澄み切っていた。
「結局、オレ自身には力なんてなくて、有り余るほどの知識を持っていながらも、
電力が無ければただのヒトなんだよ。道具をいかに使えるか。
使いこなせるか。それが医者という器だって事さ。
もちろん、医者という誇りを捨てたわけじゃない。」


「道具」という言葉に込められた、悲痛な告白でもあった。
どうしようもない怒りと、哀しみの交じり合った心の渦。


波紋の広がり。


「俺も変わりゃしないだろ?みんな道具を使いこなそうと必死になって、自分を殺していってる。
そういう世の中になってるんだよ。」
「それでも、オレはお前が羨ましい。お前は道具は使わない。自分が資本でやっていける。
そういう自分の持つもので生きてる、本当の意味で強い奴を羨むよ。
オレには出来ない何かがあるから・・・」
「そんな・・・そんな俺は強くない。強くないんだ・・・」
伏目がちに儚く笑って、グラスを所在なげに回していた。



「そうかな。お前には歌がある。曲がなくとも歌う事は出来るし、その歌で誰かを笑顔にさせられる。
きっとな。」

俺はそんなに出来た人間じゃなかった。
けれど、彼が言いたいのはそういうものじゃなく、人生の在り方なんていう、
もう少しランクの高い話のような気がした。
俺の手には、少々荷が重いようだったが、それでも彼の苦痛は良く見て取れた。







 「医者、辞めるか?」
グラスを回すのも、遠くを見るのも止めて勢い良く振り返った。
丸い目は、俺の微笑を見つけて苦笑した。

「ワルイひっかけはごめんだぜ?」と、ぬるいワインを一口飲んだ。
「なら良かった。辞める気はなさそうだ。俺は尊敬してんだぜ?これでも。」
ニッと笑って肩を小突いてやった。
それが、俺に出来る範囲の励ましのカタチだった。

「悪い・・・他のもっと上手い言葉があれば、その気持ちを軽くしてやれるけど、どうにも俺には備わってないらしい・・・」
照れと歯痒さを含んだ笑みは、彼にとって救いだったろうか・・・。

「いいや。嬉しいよ。お互い、大人になったもんだ。」
その言葉からは、“救われたんだ”という想いを感じる事が出来た。
「いや。俺たちはあの頃のままさ。今と同じように。」
どちらからともなく笑った。

昔と変わらない、はにかんだ時に見える八重歯が、美しい過去の残像と重なって、眩しさを感じさせた。




「いい医者になったもんだ。きっとその子も、お前の気持ち知ったと思うよ、俺は。
神とか、そんなもん信じちゃいないけど、自然とそう思える。
お前は間違っちゃいない。ただ、俺たちが知らなかった事実なんだろうな。戦争という痛手の・・・・」



平和ボケという言葉に漏れず、俺らはのんびりとしたもので、人の死には疎くなった。
それが本来の姿でもあり、戦を好む事もまた、人間(ひと)の一つの姿であるだろう。

「久しぶりに泣いたよ・・・。だけど、これを糧に何を掴めた気はしてる。
考えさせられる部分は数多くあるけれど、人生の指針のようなものは見えてきたかもな。
お前と飲めて良かったよ、今日。」
昔と変わらない、生き生きとした眼差しを取り戻した瞳と声だった。



「俺のお陰じゃないさ。元々お前の中では決まっていた事さ。
今日は確信しただけだろう。」
「同意ってやつか・・・。そんな気もするな。
そっか…。やるべき事は決まったか。」

誰に言うわけでもなく、自分に言い聞かせたような口調の彼は、良い瞳をしていた。
これこそが、俺が尊敬した人でもあった。





「出ようか。もう遅い。」

晴れ渡った想いに安堵した俺は、今日の酒の終わりを促した。
「ん、もう一杯だけ付き合えよ。意義ある時間に乾杯しようじゃないか。」と、茶目っ気いっぱいで、
ツインのグラスに、ボルドーの液体を注ぎ込む。



――カチン――



鳴り合うグラスのワインを、不安や苦しみと一緒に飲み干した。
夜景は鮮やかさを潜め、空の微妙な変化に圧倒され始めていた。



――朝焼けが近い――



 
 



















SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送