「天体観測」




「ほら、あの夕焼けだよ。君が荒れて疲れたあの秋に、二人で見ただろう?」





繋ぐ相手のない手が、無造作に揺れる。
肌寒い海辺は、夏の名残を惜しむ人たちが行き交う。
あの日のような美しい夕焼けが、今日も明日の為に沈んでいく。
七夕のように、二人の願い事を書いた紙切れを括りつけた目印の木は、今はもうない。
そのせいか、危うくこの場所から過ぎ去ってしまうところだった。
変わらないのはあの夕焼けだけで、周りは刻一刻と姿を変えている事を、痛感せずにはいられない。
未だ僕の脳に棲む君は、歳をとらない。
僕は、今日も一日という時間分、君より長い時間(とき)を過ごす。
昨日とは違う今日に、僕はまた違った幸せを感じ、また違った愛しさを覚える。


「何故だか分からないけど、涙が出るんだ・・・・」
子供のように、ぐしゃぐしゃに顔を歪めて、初めて僕の前で泣いた君を、無言のまま髪を撫でた。
君もそれ以上口を開かずに、ただあの夕焼けを見つめながら、目をごしごしと擦っていた。
「それが、本当の君なんだろ?」
呟きのようで、絶対的な問いかけに、君は応えなかった。
それでも、小さく頷いたような髪の揺れが、僕には確かに見える君の姿だった。
一緒に泣けそうな想いの中、ろうそくのような穏やかな、そおうと灯る嬉しさを感じていた。

(キレイだったよ・・・・・)

西の空は、夕焼けの黄金を保ち、明日またいづる東の空は、紫紺の彩の中に僅かな蒼を残している。
黄金と紫と蒼。その微妙なコントラストの上を、アクセントのように赤が交ざる。
今日の最期にと強力な光を放つ陽を背に、薄雲は廻りを縁取られて光輪のように、隙間から光を零す。

(まるで天使の輪のようだ・・・・)

家を出る前に、目にしたカメラを手に持っていたが、ふっと笑ってこう思った。
「この美しい一瞬を、画に残そうなんて無理な話だ。」
自嘲的でもありながら、すんなりと心の高揚は穏やかなものになった。
急に荷物になったカメラを首から提げて、ズズっと下がってゆく陽を見つめる。
黄金に染まった海が、不規則な波に反射してキラキラと七色に光る。
その反射が、今日の終わりであり、明日の始まりの序章のように感じた。
空を回る鳶は、大きく旋回して悠々と空を翔ける。
名も知らない鳥が、自分達の帰る場所へと迷わずに羽ばたく姿は、雄姿のようにも見えた。
戸惑いを知らない、純真さが目に痛かった。
溶けていくような陽に、手を差し伸べてみたくなるのは、何故だろうか・・・。
今日の日を引き止めたいのか、その輝かしい光を掴みたいのか・・・。
咲き初めも、散り際も美しい陽に焦がれ、嫉妬に似たもどかしさを感じる。
まるで、陽に恋したようだ。
少し文学的な事も言える自分に笑って、似合わないなと自嘲した。
気障な台詞を言う必要もなくなった。
君に告げられない真実など、誰に言ってもつまらないものでしかないのだから。

想いが逡巡している間にも、陽はその身をまた別の寂寥者の前に、姿を現しにこの場から消えていく。
飽きもせず、僕と同じようにこの美しさに見とれ、嫉妬し、哀切の念を抱いている者がいるだろう。
どれだけの速さで、太陽を追っても近付けない。
それが、君への距離や存在のように感じた。

「見てごらんよ。あの夕焼けも今日という日に負けて、身をひそめてゆく・・・・。」

意図的に、僕は負けると言いたかった。
それは決して、負けではないという事で、裏腹な気持ちは悔しさのように、天の邪鬼に答える。
また明日という日に、凛々しく現れる陽の神々しさに、きっと僕が負けるのだろう・・・・。
それでも、潔く去っていく陽と今日が、あまりにも美し過ぎて、卑屈にならずにはいられなかった。
またそんな心を、君は明日も癒していってしまうのだろう?
涙が出るほど、この僕を包んでいってしまうんだね・・・。

「もうすぐ夜が来る・・。」

肉眼から消えてゆく陽を、紫や紺の雲、そうして薄い膜のような地平線が見送る。
後光のように自身の光を背に、僕の瞳から消えていく。
姿を消した後も、名残の光が、まだ天を染める。
主役は脇に居ようとも、その存在を誇張したままで、訪れる夜を見守る。
壮大な自然のドラマは、人の目には触れる事は少ない。
それは、見上げる余裕を失くした人間が溢れているという事。
安らぎを怠惰とし、酷使を美学とするこの世の中で、僕のようにただひたすらに陽を見つめている者は、
きっと滑稽なほど馬鹿馬鹿しいのだろう。
それでもいい。
この一瞬の美しさを知らないよりは。
この一瞬の生と死の狭間を知らないよりは。
逆に誰も知らなければいい・・・。そんな風にさえ思うのだから。

 
美しい陽が去った後、美しいはずの夜が来る。
しかし、僕の眼に、この夜空の美しさを映し出す事は出来ない。
陽の光に透かされた一枚の天は、清々しいまでに煌めく神秘。
しかし、何もかもを黒く縁取る夜闇では、淀んだ空気さえも姿を闇に縁取る・・・。
そのせいか、美しい星を眺める事も出来なくなった。
夜の本当の輝きを、もう誰も知らない。
それはどんなに悲しい事だろうか・・・。
星の瞬きを知る事もなく、夜の蒼さを知る事もない。
やがてやってくる、勇ましい生の躍動のような陽を見つめる事もない。
それが何より、今僕が一番に苦しい事だ。
君の安らかな眠りを、垣間見る事も出来ない・・・そんな息苦しさ・・・。
見守る事も出来ない、この世の空の下では。

僕らが窒息しそうなほど、この淀んだ空気が取り払われてしまえば、あの夜空は美しく輝くだろうか?
煌めく星々の、それぞれの色を窺い知る事が出来るのだろうか。

ずっとその光景を願い、乞い求め、一心に空を見上げているのに、夜闇が訪れたこの街は、
無残にもネオンという星を灯してゆく・・・・。
同じ星が、煌々と照り光る汚れた星が、今日も僕の眼に焼き付くように映る。
そのネオンに照らされた涙など、もう流したくはないのに、零れ落ちてゆく涙は、また昨日と同じ色・・・。
 




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