「吹鳴」












窓を叩くような突風が一頻り吹いた後は、緩やかな静寂が訪れた。
眠れない…。
こんなにも肉体は疲れているというのに、微睡みが襲って来ることはない。
苛立ちのせいか、眠れない緊張のせいか、胃がキリキリと痛む。
その痛みにすら苛立ちを覚え、やり場のない衝動を堪えた。

あれだけ耳障りな音を立てていた風が止むと、一転して時計の針の音が聞こえてくる。
夜の帳、遠い橋の上のクラクションや、焦燥を煽る救急車のサイレンが木霊する。
ギリッと奥歯を噛みしめる。
そうやって、今ある苦痛を痛みに変えてしまおう…。


(大丈夫。もう怯える事はないんだ。
笑ってみろよ。
オレは生きてるだろう?
朝になれば忘れてしまうんだから、気に留めていてはならない。)


眼を閉じて深呼吸―――
浅い呼吸を何度か繰り返して、鼓動の緊張を和らげる。
それでも鎮まる事のない早鐘は、今も尚、耳に残るサイレンを追う。

(バカ……気にするな。)

再び窓を叩き出した風が、一層心を動揺させる。
嗚呼、早く眠りに就いてしまえ…。
眼の奥が疲労の為に、痛み叫び出しているというのに、一向に睡魔が襲う事はない。
それなのに覚醒してしまえるほどに、思考はクリアでもなかった。

気休めに、音楽でも聴こうかとステレオに手を伸ばしかけたが、入っているCDが、
この静寂には似つかわしくない事に気付いた。
違うディスクに変更する気にもなれず、伸ばしかけた手は行き場をなくした。
こんな真夜中に、連絡を取りたい相手もいない。
唯一話が出来そうな奴ほど、真面目に睡眠を摂っていたりする。

依然、子守歌にもならない不規則な風の調べは、気の向くままに奏でられている。
こんな時は、分厚い理屈っぽい本でも読んでいたいが、元来簡潔で、薄い本を好む事に苦笑した。
手を伸ばせば届く範囲にある本は、もうどれも読み古された馴染みのものであり、
一種のインテリアと化しているものである。
どうやら身の回りに、安眠を助けてくれるものはないらしい。
いや、本気で探していないのかもしれない。
案外、この状況を楽しんでいるのかもしれない。
実際のところ、そんな事はどうでも良かった。






夜は嫌いだ…。
眼を閉じる恐怖と、肉体が欲する欲望に負けてしまう身体。
望んだ時に得られない睡眠という欲望に、訳もなく苛立ちを覚えるのは夜だから・・・。


もう何時間、こうして風の調べを聞きながら、天井を仰いでいるのだろう。
真っ暗な部屋を、薄く縁取り始めた光が、夜明けを知らせる。
迎える不快な朝に、頭痛を感じながらも、身体は欲求を満たす事を諦めはしない。
睡眠剤が手招きしていたが、完全無視を決め込み、自然な安らぎを得ようする。

肩口の寒さを感じて、布団を引き上げようとしたが、思考で考えるほど身体は反応しない。
「やっと来たか…頼む、もう眠らせてくれ…」
眼を閉じると、後ろに引かれるようにスーっと、眠りに導かれた。

















オレは夢の中で、音に溺れていた。
空気の充満した枠の中で、いつまで経っても消えない反響音に、オレは怯えながら耳を塞いでいた。
その音は、マイクの低周波が響くような、機械的で苦い音だ・・・。
止めたくてもがいているオレは、止める術が分からずにうろたえていた。
そう、上も下も、右も左も、自分が今どこに居るのかさえも、分からなかったのだから…。

それはとても広い空間のような、それでいて押し込まれたように狭い空間のようにも感じた。
とにかく、振れ合う反響がオレの耳ではなく、心を震わせようとする。
つんざく様な反響音が、見えない空気を伝わり、オレを滅しようとしているような夢だった。

オレは逃げる事が出来なかった。
ただ身を縮めて、耳を塞ぐ事が精一杯で、反響する振動に頭は少し霞みがかかり、ぼうっとしていた。
何だか倒れそうになって、どこかに手をつきたいのに、どこにも掴まる事が出来なくて……。
それでも、倒れ込む事も出来ない。
恐怖に叫び出そうとしたオレには、やはり…声を出す事は叶わなかった…。

オレは逃げる事が出来なかった。
それはその空間が、とんでもない速さで移動する、乗り物のように感じていたから。
映像も、体感する風もない、刺激は音だけなのに、何故かオレは高速で移動しているように思った。


(―――この焦燥は一体何だろう?―――)


まるで、触れる事が出来ない過去から未来までを、その空間は突き抜けているようだった。
耳を塞ぎたいのは、過去か、未来か・・・。
そして、この焦りと目が回るほどの音の攻撃は、オレに何を知らせようとしているのだろうか…。
考えを巡らせる前に、今までとは違う表現し難い音が、一瞬にしてオレの耳と、思考を奪った。
暗闇の空間に、光の爆風が吹き荒れて、オレはその風と音に溢れた空間から飛ばされていた。















ハッと眼が覚めた時、外は突風がまだ吹いていた。
あれから時間はあまり経っていないようだった。
目まぐるしい夢に疲れたオレは、もう眠りを追う事はなかった。
いや、またあの反響音に晒される事が、恐かったのかもしれない・・・。

オレはステレオに手を伸ばした。
ディスクの回転音が聞こえるとすぐに、美しい静寂を破るような、軽快なリズムが部屋を満たした。
得体の知れない音に惑わされた夢を、現実の音で消してしまおうと思った。
あの音を追究した後、オレはこの痛む胃の理由にまで、気付いてしまう気がして恐かった。



――――奥歯を噛み締めた。



それは痛む胃のせいだと、オレは自分に呪文のように言い聞かせた。
それ以外の理由を拒むように、それ以外の理由など要らないのだと、念じていた。



その時流れた、一滴の涙のワケを…今もオレは知ろうとしない・・・・・・。














SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送