興味もなく、騒がしい流行曲をヘッドホンで聴いていた。
そのせいか、降り出した雨の音に気付かなかった。
ベッドに仰向けになり、手は頭の後ろで組み、呆然と天井を見上げていた。
真夜中の静かな雨に、雑音のような音楽を消した。
屋根を伝い落下する滴の単調な音が窓の外から聞こえてくる。
それはたどたどしいピアノの調べのようだ。
時折、静寂を破り車の音が聞こえたりもする。

深く眼を瞑れば眠りに就けそうなのに、その誘いを無視して、擦りガラスの向こうの雨を見つめた。
窓には結露の雫のように、点々と水滴を映し出す。
影になった黒い雨が、虚しく哀しい・・・。
依然、身体は縫いつけたようにベッドに横たわったままで、何か深い思考を巡らせているわけでもなかった。
ふと気付いた部屋のまめ電球に、無性に苛立ちを覚え、その人工灯を消した。
辺りは月の光と、消すに消せないテレビの赤いランプだけになり、
うっすらと光る時計の夜光塗料の文字盤が、怪しく部屋に光をこぼしている。

静寂の中で、強弱のある雨音に耳を澄ます。気まぐれな天の涙は、朝まで止みそうにない。
ただポツポツ、ザァーザァーと、二種類の音を聞きながら、思い出したくもない記憶を巡る。
車のタイヤに分断された雫が、飛沫をあげる音が聴こえる。
水溜りには、どんな顔をした自分が映るだろうか。
実際に映っている姿を、見たわけでもないのに前髪をクシャクシャと散らした。
先ほどの苛立ちとは裏腹に、急に明々と部屋を人工灯で埋め尽くしたい衝動がこみ上げる。
それでも半分眠ったような身体は、一向に動こうとする事はなかった。

深呼吸した。
今日一日分の疲れでも吐き出すかのように、重い吐息だった。


「雨か……」今頃になって、言葉にする必要もないような事を発した。
ゴロゴロと雷の唸るような雨ではなく、しとしと静かに泣く女のような雨だと思った。
この滅多に気に留めない静寂に、普段は考えもしない事を深めようと思うのだが、
睡魔と疲れに意識を取られたままで、まともに回転してくれない。
何もせずとも耳に入る雨音を、一種の子守歌代わりに瞳を閉じる事にして、今日にピリオドを付けた。










一瞬の眠りだったのか、深い眠りだったのか、それは分からない。
フッと甘い香りがしたような気がして目を覚ました。
瞳を開けた時には、いつも部屋の、いつも香りだった。
もちろん夢のように、傍らに美しい女性が居るわけでもない。
何となく夢に疲れた気がして、手を伸ばせばすぐに届くベッドサイドのランプを付けた。
物の影が部屋の隅に、ぼうと映し出される。
その影を見つめた後、風が吹き出し雨戸を揺らし始めた外に目をそらす。
閉めていない雨戸が、風に揺れ、普通ではそう大きく感じないはずの音をあげる。
「そう言えば……」視線を天井に戻した僕は、フト、今まで月明かりだと思っていた光が、
街灯である事に気付いた。

(もう見分けられないなんてな…)

さっきの言葉より、口に出すに相応しい言葉を心の中で呟いた。
冷たくなった足先を擦り合わせながら、再び眠りに入ろうと目を閉じた。
眠りの淵で、今日の雨が「山茶花梅雨」だという事を思い出し、人知れず微笑んでいた。
それはもう、夢の中だったかもしれない。












寝不足のせいか、いつまでも慣れない目まぐるしい夢のせいか、気だるげな身体を起こし、
夕方のような朝を迎えた。
思った通り雨は残り、今日は一日降り続きそうな模様だ。
いつもの癖で、無意識にもサイドテーブルの上に置かれた腕時計をはめる。
しっくりとくる微かな重みに、朝を知覚した。
ワンルームの隅で、テーブルの上で携帯が悲鳴をあげる。
「バイブレーションにしておけば良かった…」
なんて下らない呟きをして、依然叫び続ける携帯を止めた。
「はい…」不機嫌ではなかったが、自分でも驚くほど低い声だった。
「おはよう☆あら?起こしちゃったかしら?」
何となく癇に障る声に、「いや…おはよう」と答えるのが精一杯だった。
「そう。それでね、今日いつものカフェの前の・・・・・」
僕が覚えているのは、この辺の会話だけ。後は、流れゆくラジオよりも興味がなかった。
彼女にそう思っているわけではなかったが、何となくこの憂鬱気な雨が、僕の思考を鈍らせた。
電話を切った僕は、どうやら今日の約束を断ったらしい事に気付いた。
彼女も、今日の僕に違和感を感じたのか、それ以上は何も言わなかったようだ。

(ごめんね、今日は…)

これも昨日同様に、口にすれば良いだろう言葉を心の中で呟いた。
どうも思った事を、心の中で呟いてしまう僕は誤解されやすいのだろうか。
あまり人付き合いは好きな方ではないし、笑顔が燦々とするような快活さもない。
それでもこの自分を、変えてしまおうとは思わなかった。
この僕でない「僕」が、一体何であるか、自分でも説明出来ないものだったから。











その日、僕は何をしていただろう。
茫然と窓の外を見詰めていた。
そんなに気にかかるのなら、窓を開けて見ていれば良いだろうに、僕は曖昧な擦りガラス越しにしか、
その雨を感じようとしなった。
だから、実際どれだけの雨が降り続いたのか、知らない。



――――カタン――――



窓を見詰めていたが、後ろの方でそんな音がした。
そう広くはないワンルームのフロアを抜けて、ドアの方へと向かう。
その時、不思議な事に、茫然としていた僕は、その音に興味を惹かれた。
郵便受けに何か入っているようだった。
(なんだ、ただの郵便か・・・・)
とは思ったのだが、何気なく取ると切手のない手紙だった。
まさか、とは思ったのだが裏を見て彼女である事がすぐに分かり、僕はドアを押し開けて
彼女の姿を探しにいった。



彼女も少し、このドアの前で逡巡していたらしかった。マンションを下りてすぐの道で、
彼女を呼ぶ事が出来た。
振り向いた一瞬、言い知れぬ安堵を感じていた。
少し息を切らせた僕は、呼吸を整えながら、言葉を選んだ。
「ゴメン、今日はちょっと考え事をしてて・・」
選んだ言葉が、言い訳めいたものになっていると思いながらも、言い繕っていた。
「そうみたいね。電話も上の空だったわ。」
「あ、いや…。そう、なんだけど……ホント、ごめん・・」
「このバカ正直。怒ってないの。ただ気になったから来ただけよ。」
「なら、ウチに上がれば良かったのに。折角来てくれたんだろ?」
「えぇ。でも今日は止めておくわ。話をしようと思ったわけじゃなくて、それ、渡したかっただけだから。」

『それ』と言って指差した手紙を見詰めながら、綺麗に笑った。
それだけの為に、わざわざ来てくれた事にも、言葉に出来ない愛を感じた。
昨日からの、漠然とした悩みや、憂鬱が少しバカらしく感じた。

「読んでおいてね。大した事は書いてないけど、誰でも逢いたくない日や、話したくない日はあるわ。
無理するところ、アナタの悪い癖よ?それじゃ、また連絡してね。」
と微笑んで、バッグからハンカチを出して、僕にくれた。
「雨、降ってるのに傘も差さずに…。風邪ひくわよ。早く帰った方がいいわ。」
「あ、いや僕は大丈夫だよ。」
「いいのよ。早く帰らないと、手紙が濡れて読めなくなるわよ?」
と言われ、僕はハッと気付いて、慌てて手紙を懐の中に仕舞った。
その様子を見ながら、「良かった」と言った彼女は、次の瞬間には「じゃぁ」と振り返り行ってしまった。
名残惜しさを感じながらも、手紙を読みたいという心も抑えられず、僕はまた走って帰った。










あれから落ち着いた後、僕は趣味の良い綺麗な便箋の手紙を開けた。
女らしい細かい字で書かれた文章を、自然と微笑みながら読み進めていた。
他愛もない世間話の中に、本当は彼女が言いたかった言葉が見え隠れして、
押し付けない優しさが心を潤してくれた。
言葉が少ないからと、自分を卑下する事はないのだと、彼女らしい強い口調で書かれていたのには、
案外衝撃があった。
衝撃というよりも、新たな安堵のようでもあった。僕は僕のままで良いと認められたような気がした。
いつも手紙の最後に書く文章に、今日は違った想いを感じた。

「Being important can’t seen in the eyes.」
「大切なものは、目に見えない」

その英文を指でなぞって、僕は静かに手紙を閉じた。
閉じた瞬間、甘い香りが漂った。
それは、昨日夢と現の境で感じた香りだった。
そうか・・・と、僕はベッドサイドの本を広げた。
本に挟まった、前にもらった彼女の手紙からは、今日もらった手紙と同じ香りが微かにした。

僕は泣いていた。
いつでも癒してくれる、彼女の大きな包容力に穏やかな涙を誘われた。
彼女が毎回、手紙の最後に締め括るあの英文の意味が、ようやく分かったような気がして、
見落としてしまいそうな優しさを感じた。
彼女の想いを噛み締めた僕は、丁寧に手紙を仕舞って、慌てて傘を取り出して部屋を飛び出し、
走り出した。
今日こそは、言わなくてはいけない言葉がある。

「愛してる」

初めて感じる緊張に、雨は優しく語りかけてくれるようだ。









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