「ボクタチノ ホシゾラ〜Find Me〜」




僕は向かいのビルを眺めながら、友人に問いかけた。


「今何時?」
「ん?8時過ぎ。」

友人は雑誌から目を離しただろう仕草で、時計を見たようだ。
背中に届いた声は、こちらにではなく、目先の本に注がれているようだった。
背中越しの時刻に驚きを隠せず、僕はもう一度、確かめるために聞き直したが、
「合ってるよ、合ってる。」と、適当かつ正確に流され、僕は目を細めた。


ビルの上の空間は、ぼんやりと夕方のような光が留まっている。
どう考えても「夜」と呼ばれるような、時刻には感じられなかった。




「飲む?」
パタンと冷蔵庫を閉めて聞いて、炭酸飲料を差し出した。
ボトルを手渡しながら、僕が見つめているビルの向こうを見つめ、「何で時間なんか?」と、
窓辺に手を掛けて問うた。
僕は苦笑しながら、話した。

「いや、あまりにも空が明るくて。さっき時計を見た時は6時過ぎだったはずなのに、
時が止まったようだな…なんて。」
深呼吸とも、溜め息とも取れるような息遣いが隣で聞こえ、「なるほどな。」と応えた後、
片手のボトルの中身をあおった。
「お前らしいネ。」
そんなことを言って、また机の上の雑誌に手を伸ばした。


「僕らしい」という言葉に、少々の違和感を感じていたが、それでもなんとなく、
理解出来てしまった自分が、そのイメージに染まっているようで悲しくもあった。




「ここの空は、いつもこんなだ。」と、どこか投げやりに、どこか納得したように言う彼もまた、
どこかこの空に悲しみを感じているように、僕は思った。
都会暮らしに慣れた彼も、今の僕のように染まる前、こうしてこの空を見上げ、きっと何かに落胆し、
期待したのだろう。

「悲しいね……」と呟いたけれど、彼は無言だった。
けれど、無言のままの彼の背中からは、「あぁそうだな。」という言葉が淋しく聴こえてきそうだった。










星一つ見る事も叶わない、都会の空も、街も眠る事なく、昼夜光続けているさまに、
僕はいつか見たテレビニュースを思い出した。
アメリカの大都市で、大々的な停電が起きたことがあった。
復旧の目処がなかなかつかず、夜を迎えた。
光のない世界の中で、恐怖を感じながらも、初めてその街の星を見たという青年がいたのだ。
僕はその放送を、何と馬鹿馬鹿しいのだろうと嘲笑した後に、いや、彼はこれで良かったのだと、
思い直した。
彼は遅過ぎた、在るべき嬉しさを知ったのだと思うと、僕は安心していた。

僕には当たり前過ぎた星という存在が、街の中では、大変貴重なものとなってしまっていたのだ。
其処に在るはずの星々は、汚れた空気と人間たちの熱気でかき消され、
その姿を覗かせる事が、少なくなっていたのだ。
何と悲しいことだろう……。
しかし、あの青年は思っただろう。
今、自分の居るこの場所で、こんなにも当たり前である、美しい自然を感じられる嬉しさがあるのだと。
また、自らが見失っていたものを、取り戻したことに気付いたはずだ…。
皮肉だが、光を失うことでしか、ありのままの自然を感じられないことは、虚しさをも秘めていた……。





「星がそんなに見たけりゃ、田舎に行けば見れるぞ?」
そう教えてくれた、少し無神経な言葉に、僕は苛立ちを感じることはなかった。
憤りを越えたわけじゃない。
僕には彼を、無神経だ!と咎めることは、どうしても出来なかった……。

「駄目だよ。見たいのは田舎の星じゃない。その窓から見える星なんだ。」

そう言った僕に、きっと彼は良い顔をしないだろうと分かっていながらも、
僕は振り返り表情を見たかった。
だが、彼は一瞬だけ視線を合わせて、笑んだ気がした。
「気がした」だけだから、本当は違うかもしれない。

「それじゃぁ、難しい願い事だ。」
と、皮肉気に笑った彼は、その不可能に期待しているように見えた。
実はもう、雑誌の文章など、読んでいなかったのかもしれない。
先ほどから進む事のないページが、彼の心の葛藤のように見えた。
そして、無関心を装った僕もまた、彼を見つめていた事に気付いた。
喉をパチパチと刺激する、飲み慣れないジンジャエールを、僕は一気に飲み干した。
「酒もそれぐらい飲めたらな」と、毒づいてきた彼に、腹は立たない。
逆に、嬉しさが込み上げた。








「…悲しいよ…」
急に呟いた彼は、少しバツが悪そうにして、目を逸らした。
「・・・・・?」
「さっき言ってたろ?星が見えなくて悲しいとかって…。」
「あぁ、さっきの。」
「やっぱりな。とか思っただろう?顔に書いてある。」
緩む顔で、空っぽのボトルを手の中で転がした。
「そうやって、何でも悟ったような君だって、僕と変わらない時期があったってことだろ?
可笑しくて笑ったんじゃない。嬉しかったんだよ。」
「変なの。」
と答えた彼が、照れたようにはにかんだのは、僕の言いたかったことが理解出来たからだろう。



「この街では、雨の日にしか星は見えない。」
彼は矛盾…いや、あり得ないことを言った。
雨の日に、星が見えることもなければ、美しい月が覗くこともないはずなのに、「雨の日にしか」という、
彼の心情が分からなかった。

「現実的じゃないけど、人間の汚れた空は完全に澄みきることはないけれど、
ほんの少し雨によって流され、在るはずのない星が輝いて見える。
だから、ヒトが活発に動き出す晴れでは、星は見えない。雨のどんよりとした雲の向こうで、
きっと星は輝いているのだそうだ。」
どうでも良いように、雑誌をめくりながら話す彼は、実は僕なんか及ばないほど繊細なのだと思った。

「どうせ、受け売りだ。」
と言いながら、カラカラと笑った彼が、少し幼く見えた。

「昔親しかった女(ひと)が言ってた。“実に汚らしいわ”とか言いながら、お前と同じように、
良く空を見上げてた。“私もあんな雲になるのかしらね”なんてボヤきながら誰よりも輝いて見えたよ。
オレはあの女こそが、分厚い雲の向こうで輝く星に見えたよ。」

昔話なのか、現在進行形の話なのか、分からなかったけれど、そんな話をしてくれる珍しい彼が、
新しい側面を見せてくれたことが、嬉しかった。

「付き合ってた人、とか…?」
「いや、そんなに風に親しかったわけじゃない。今頃何をしているかも、知らない。」
「会ってないのか?」
「待つことを止めてからはね。」

その意味深な言葉と、内容が気になって仕方がなかったけれど、それ以上聞くことは出来ないと、
僕自身がブレーキをかけていた。

「面白いヤツ。聞きたいって顔に書いてある。まぁ…そのうちな。」

と言った彼の何気ない言葉に、その時僕は感動していた。
彼にしてみれば、“変なの”で終わってしまいそうだけど、「そのうち」に込められた、
これから続く付き合いが待っていることを、彼が認めてくれていることが、心に安堵をくれた。

「楽しみにしてるよ。ここで星が見れた時にでも。」

いつ見れるとも分からない星が愛しく思えた。










味気ない空に光る星は、視界を曇らせるほどの汚れた空気に、埋もれているわけではなかった。
その姿は、変わることなく其処に存在している・・・・。
しかし、僕のこの目に見えない寂しさを、紛らわすものなどなかった。
いや、それでいいのだと思う・・・。


今も尚、明るい空に星は見えない。
ぼんやりと霞む、夕方のような空には、僕と彼と、そして…
この街で空を見上げることのない人々の、溜め息が溢れているように想った。



もしも、この街が、あのアメリカの大都市のように、真っ暗になる日があるとするならば、
経済的損害を数倍も上回るほどの、歓喜が得られるような気がした。
そんな、在るべき喜びを誰にでも教えられるとするなら、僕はこの街を美しい闇に染めてみたいと想った。
それは限りなく、馬鹿げた話だということは解っているのだけれど、そうした心のプロジェクトに
騒ぐ胸が自然と顔を綻ばせた。
それはまるで、人々に夢を与えるサンタか、秘密裏に動くスパイにでもなったような、面白い気分だった。


「飲む?」


久しぶりに酒が飲みたいと思った。
そんな想いが伝わったのか、彼も差し出されたビールを、小気味良く開けた。



その時の空も、霞んでいた。
でも、分厚い雲の向こうの星が、曖昧に輝いているように見えたのは、気のせいじゃないと想う。


『乾杯―――――』





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