「静かなる午後〜旅立つ翼〜」




春の空高い蒼。快晴に近い空に浮ぶ、ひと塊の雲。
少し強い風に、ゆっくりと流されてゆく。
少し開け放した窓から見上げながら、その雲を目で追う。
その瞬間は、今しようとしていた事さえわすれる。
ティーカップを持ったまま、彼は空を見上げて一人、物思いに耽っていた。



「どうしたの?」と背に気遣いの言葉をかけると、ようやく地上に戻ってきた。
「飛びたいの?」と冗談でもなく、自然と口に出して問い掛けた私に、ニッコリと笑った彼。
それは、何よりも自然な言葉だったのだろう。他人(ひと)は解らなくても構わない。
「そうだね、それも悪くないね。」と、同じ空をもう一度見上げた。
「今日は少し、風が強いね。」
「そうね、少し肌寒いわ。」

激しさを増した風に揺れる木の葉を、見つめる彼の横顔が、少し遠くを見ていた。
「あまり風に当たると悪いから、もう閉めましょう。」
普段なら、素直に応じる彼が、今日は少し躊躇って黙り込んだ。
「……そうだね。少し寒くなって来ているから。」
「えぇ…」
何となく、心に違和感が残ったが、私は明るく「お茶にしましょう。」
と言うとすっかりその違和感を忘れてしまった。





うららかとも、清々しいとも、少し違う午後のティータイム。
そこは穏やかな空気が流れ、時間というものは、この空の日差し以外感じる事は出来ない。
春を少し過ぎ、夏へと変わる独特の美しい景観は、少し現実から引き離してしまう効果があった。


「あの蒼に吸い込まれそうだ…」

目を細めて、カップを口に運んだ。
今日の紅茶は、いつもより美味しいね。とゆっくりと微笑んだ笑顔が綺麗だった。
「そう?いつものお茶だけどね。」と、微笑を返した時も、彼は微笑んでいた。

「僕は少し、ここで本でも読んでいるから、君はどうぞ用を済ませておいで。」
ゆったりとした動きで、カップを置いた彼の手は、とても細く折れてしまいそうだと、
笑顔の裏で私は、悲しさに胸がツーンと痛かった。

私には心地好い風。テラスを吹き抜けてゆく。
少し暑いぐらいの陽気。なのに、彼には打ち付けるような風・・・。
両手を広げて、走り回りたいほどの陽光なのに、今はただ泣きたかった。





「ママー!ママー!」
庭を駆け回る娘が、土まみれで手を振る。
風に揺れるチューリップの花が、重たそうにしな垂れている。
大きく左右に揺れているのは、ポピー。
なんて美しいのだろうか、この一角は。
そんな感傷を許さない娘の言葉が、急に現実へと引き戻してくれる。

「ママー!聞いてるの〜?早く降りて来て!早く、早く!!」

急かす娘が愛しくて、私は流れるままにテラスを降りた。
オープンテラスのカーテンがそよいでいた。
白いレースが、オーロラのように揺れる様は、今を異空間に思わせた。

「ママ、これがお団子で、これがケーキ。それでね・・・」
土遊びをしていた娘は、一生懸命に説明をしながら、楽しそうにしている。
真っ直ぐな想いが、刺さるようだった。

「これはママの分でしょ、これがパパの分。私はこれ。」と指差したのはケーキ。
「パパの分だけ大きいわね?」
「うん☆パパはエライから、大きいの。たくさん食べてもらうんだよ。」
無邪気に笑った娘を抱きながら、私は泣いた。
「どうして泣くの?」問われても、私はただ抱き締めるだけで、ありがとうと答えるだけだった。

「ママ、どこか病気?」
「ううん、違うわ。とっても元気。さぁ、そのケーキをパパに渡しに行きましょう。
その後は、美味しいジュースを飲みましょうか♪」
「わぁ〜い♪」
両手をあげて喜んだ娘は、土のケーキを一生懸命お皿に乗せて、パパに渡す準備を始めた。
花の形をした、赤いお皿に盛り付けられたケーキが、とてもおいしそうだった。
「喜んでくれるかな?パパ?」
「もちろんよ。」
「さぁ、行ってらっしゃい。ママはお茶の用意をしてくるわ。パパも呼んで来てね。」

娘は慎重に歩いて、おぼつかないながらも懸命に父の元へとゆく。
その姿を見ているだけで、愛しさが募る。
少し位置を変えた太陽が、それでも眩しく輝いていた。
風が止んで、温かな陽の温もりが伝わっている。








「ネェ、ママ。」
小声でドアの影から呼ばれ、私は蛇口を閉めて振り返った。
「どうしたの?」
「あのね、パパおやすみしていたから、毛布をかけてきたの。」
「そう、疲れてしまったのね。そっとしておいてあげなさい。」
「はーい。あ、アップルジュースだね。」
「はい、どうぞ。」
「あのね、パパがね、ありがとうって、言ってたよ。」
「え?・・・」
「ニッコリ笑ってた。あのケーキ美味しかったよって。」
「眠っているのに??」
「うん☆」
「だってあなた今、おやすみしていたって?」
「うん☆おやすみしていたよ。」

ジュースに気を取られて、矛盾した事を言っているのに、気付いていない様子の娘は、
その矛盾が、あたかも当たり前のように話した。
私は二階へと駆け出した。





私の不安は的中していた。





瞳を閉じた彼は、読みかけの本を読み終え、日溜まりの中で、その息を止めていた。
娘がかけた毛布に包まれ、テーブルには私の入れた紅茶と、娘の作ったケーキが置いてあった。


「パパね、ママの紅茶も美味しかったって。」
いつの間にか後ろに立っていた娘。
真実(ほんとう)は、彼女こそが知っていたのかもしれない。
この矛盾の意味を。
そして、彼の死を・・・。

「ママ。パパが泣いてるの・・・」

その言葉に絶句した私には、どうしても彼が泣いているようには見えなかった。
日溜まりの中で、安らかな眠りに就いたはずの彼が、泣いている・・・・。
娘にはそう見えたことが、とても羨ましいと想った・・・。

「泣いてるの・・」と言って、わーわー泣き出した娘が、一瞬彼に見えたのは嘘じゃない。
だから私は、めいいっぱい抱き締めた。
彼を包み込んでいるような気がしたから、どこまでも力強く・・・。
存分に泣いて・・・。
今まで笑って見せていた分までも・・・。

泣き疲れた娘を抱き締めながら、次第に色を変えてゆく空を見つめた。
やはり私には笑っているように見えた。
『ありがとう』
その言葉を言う時の、彼の眩しい笑顔に見えた。
そうして、それが間違いではないと、心から想っていた。



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