「並木道〜吾が心 君のために〜」





春の夕暮れ。
君と来た桜並木を、独りで歩く。


鮮やかな花々は羽根を休め、眠りに就く為に、蕾に戻ろうとしている。
優しい風が、夕日に照らされてキラキラと眩しい。
オレンジ色の空に浮ぶ鳥たちが、連れ立って群れを成し、巣へと還ろうとしている。
その自由の側を、僕という人が通り抜ける。


風に乗って届く花びらが、目の前を埋め尽くすほど舞ったなら、僕の心は少しぐらい高揚するだろうか。
この渇いた空と、薄紅色の欠片も、明日の雨に晒されて、弱く路に張り付くのだろう……。

そう想うと、切ない・・・。

地に降り立ち、人という礎に踏み締められ、また土に還るようだ。
それとも降りしきる小雨が、力強い生の躍動を、鎮める儀式なのかもしれない。
一心に生きた渇きに、喉を潤す聖水のようだ、と想った。






桜のアーチをくぐりながら、君と話した事を思い出している。
立ち止まると、振り返ってしまいそうな記憶だから、ただ下を見つめているだけ。
そう遠くない間に、通り抜けてしまうだろうアーチは、ピンク色というよりは、白い。
香しい香りを運ぶ事もない。サラサラと音を立てるものもない。
風の悪戯のままに、木を離れ、一つ、また一つと彼らだけの旅を始める。
降り立つ勇気、木を離れ未知の大地へとゆく時、迷いなく揺るぎなく墜ちていく。


―――――まるで、君のようだ・・・・―――――


感動でもなく、冷涼とした想いでもなく、チリと胸を突く痛みに名などない。
毎年進む事のない読書。
この美しい桜の下、読み進めてゆこうと決めてから、まだ数ページしか読んでいない。
小脇に抱えた本は、家を出る前までは必需品であるにも拘わらず、今はもう荷物と化している。
そう。毎年、この美しさには負けてしまうのだ。
帰る頃はいつも、もう来年は来ないでいよう。と不確かな誓約を掲げながら、必ず破る・・・。
それはちょっとした、ジンクスのようでもあった。
来ない、と言っている間は、まだここに来る事が出来るという・・・とても曖昧な誓約。










太陽は夜の訪れを待ち焦がれ、その色を刻一刻と色濃くしてゆく。
鮮やかな夏のようなオレンジは、切なさを秘めた濃いオレンジへと変化してゆく。
薄く尾を引く飛行機雲は、彼方遠くの場所へと人々を誘っている。
その雲の割目から、青紫の雲が流れる。
いつしか大気(そら)は、紫紺の空に変わり、濃紺へと移りゆく。

彩りを添える桜に影を落とし、夜の来訪を告げる。
それは幼さを纏った、淑女のように、妖艶で美しいさま。
指先だけ人を酔わせる…そんな魅惑の輝きを放つ。


―――――まるで、君の睫毛が、頬に影を落としたように、切なく、妖艶だ…―――――







このアーチの先の丘を越えれば、君が好きだと言った景色が見える。
短いはずの並木道が、今日も長く感じる。
それはいつも事で、僕はこの永遠よりも確かな時間の長さに、この時だけは酔っている。
何よりも僕を魅了し、惑わせる君に似たこの花々が、その時期だけは僕を癒してくれる。

温かさを教えながらも、まだ肌寒い風が時折吹く。
あの風は、後何人の横を通り抜けてゆくのだろう。
いや、風に終わりなどあるのだろうか・・・と、考えても到底答えらしいものはない。
泣きたくなるような温もりが、それでも僕を癒そうと必死に桜吹雪を見せる。








形式だけの読書を進めるために、僕は桜の下に腰掛けた。
決まった桜は、どうやら随分な歳のせいか、老朽化し始めている。
しな垂れる美しい花が、どこか寂しそうに空を漂う。
似つかわしくない本の内容が、一番現実感を匂わせ、頭痛のようにこめかみを刺激する…。


しおり代わりの君の写真が、戻れない時間(とき)を知らしめる。
笑い合う二人の時間は、もう…還る事はない。
戻れない時が、惜しいわけじゃない・・・数ミリの偽りがあったとしても、多くは違った。
後悔ではない、深い深い苦悶。
それでも、こうして大切に仕舞ってあるのは、何故だろうか・・・。

教えたかった・・・この愛の深さを。
君が、冗談のような本気で問い掛けた時、僕は迷っていた。
「愛の大きさを表してみて?」という、大きさにばかり気がいってしまって、
本来の問いが、実は違うところにある事を、知る事が出来なかった…。
「いいのよ・・・。」と言った君は、どれだけ孤独だったのだろう。
どんなに苦しかったのだろう・・・。



初めて泣き散らしたあの日、君は怖かったんだ。
迫り来る死が、じりじりと君を追い詰めて、耳元で囁いていたんだね・・・。
「あと少し・・・」と・・・・・。

泣いて否定したかった君に、どこか理解した風に、髪を撫でていた僕は、知らなかった。
大人で居られる事よりも、一緒に泣いて欲しかったのだと。
偽物の優しさよりも、衝動を堪えきれない想いの方が、君は嬉しかったのだと・・・。
それでも君は泣き止んで、微笑んでいたね。
それが僕にとって、幸せだからと・・・。
僕の幸せだから、と――――――――











いつまでも開いたままで、読み進められる事のない本を、膝の上に置いたまま、
だらりと手は地に着き、反射的に草をむしっていた。
手をサラサラと滑っていく草の萌える匂いに春を感じ、僕は泣いていた。
パタパタと音を立てて、本に降り落ちる雫は、丸いシミをつけながら、本をたわませる。
そんな痕が、前ページにも、その前のページにもある。
その繰り返しを続けながらも、僕は今日も泣いていた。

自然の薄明かりは、もうとっくに姿を潜め、読書など楽しめるわけもなかった。
それでも、読書を理由に此処に留まる口実がほしかった。
そんなものは要らないと、どうしても言ってしまえなかった・・・。

本に落ちた涙が乾く頃、僕は少し冷たさを増した風に促されて、あの向こうの丘を目指すだろう。
その頃には、君が嫌いだと言った夜景が広がっていて、そして僕は生きているのだろう。





僕は何時、君が好きだと言った、この洋書の結末を知る事が出来るのだろう。
どこまでも悲恋を描く物語は、今は幸せの兆しもないけれど、この先、あるのだろうか。
僕に似た主人公は、君というヒロインをどうやって幸せにしたのだろう。
後どれぐらいしたら、僕はこの涙の痕で、君の本を汚さずに済むのだろうか・・・。


―――――まるで、君のようだ。見える結末など見せてはくれない―――――


もしも、この本の結末が幸せだったなら、僕も想っていいだろうか・・・?
君が幸せだったのだと・・・。
二人、幸せだったと。


「いつか、この写真の笑顔が、エンディングの一コマになればいいのになぁ・・・・」


―――――そうして僕はまた、写真をしおり代わりに、本を閉じた―――――




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